「一太郎やぁい」初代銅像に巡り会う! まりりん

2014年03月03日

旅ここ!まりりんです♪


桃陵公園。
瀬戸内海を一望できる場所にある銅像、
「一太郎やぁい」の像。
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日露戦争に出征する船に一人の老婆が。
「一太郎やあい、その船に乗っているなら鉄砲を上げろ」
と叫んだ。
すると一人の兵士が鉄砲を上げた。
おばあさんはさらに、
「うちのことは心配するな。天子様によく御奉公するんだよ。わかったらもう一度鉄砲を上げろ」
と叫び、兵士はまた鉄砲を上げた。

これを見ていた群衆は美談として語り継ぎ、尋常小学校の教科書にも載ったとか!


その後、昭和6年(1931年)6月に建立されたのが、この銅像というわけです。


実は、この「一太郎やぁい」の像。
2代目って知ってましたか!?



昭和11年に建立された
「奉公記念碑」。
多度津が軍国美談の地だということが書かれています。
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実は初代「一太郎やぁい」の像は、昭和17年、
戦争の為、つまり、大砲や戦闘機を造る為、金属回収されました。


翌年、神原象峰さんにより、コンクリート像として建立されました。


像の台の側面。
初代銅像は金属回収にあったと書かれています。
そして、「母性愛ヲ表徴」とも・・・
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母は、お国の為を思う「軍国の母」ではなく、
本当は、息子を思う、母性溢れるお母さんだったのですね・・・




去年の夏。
獅子舞をやっている私は鉦を制作している鋳造所を探し、そこで運命的な出会いを果たしました!

「一太郎やぁい」初代銅像は、三豊市山本町で造られ、
銅像の型がまだ残っているとのこと!!!

「原銅像製作所・鋳造所」さん。
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なんと、創業400年以上!!!
金物屋からスタートしたとても歴史あるお店です。
昔あった看板はそのままに、今では銅像やお祭りの鉦などを製作しています(^^)


お隣三豊市のラジオ番組
「週刊みとよ ほんまモンRadio!」
のモリイチくんと、取材に行ってきました!!!



中に入ると・・・
ありました!
「一太郎やぁい」の初代銅像の写真が!
「一太郎ヤーイ」、「一太郎やぁい」、「一太郎やーい」・・・
などなど、資料によっていろいろな表記の仕方がありますね。
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作者は
織田朱越(おだしゅえつ)さん。
現在、製作所をきりもりしている御主人、
原 寛山(はらかんざん)さんの叔父さんにあたる方です。



まず、根本的な話なんですが、
「一太郎」は、「一太郎」ではありません!!!
本名を、
「岡田梶太郎」
と言います!
こ、これは知らなかった・・・
語り継ぐ間に、名前まで変わっていったのですね(汗


そして、この方が、梶太郎の母!
つまり、銅像のお方なのです!!!
「岡田カメ」さん。
三豊郡豊田村(現・観音寺市)出身です。
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鋳造所の奥さまが、「一太郎やぁい」の像に関する資料をたくさん見せてくださいました!
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当時の資料はとても貴重!
製作した像に関する当時の資料は、大事に大事に保管されています。
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こちらは当時の感謝状。
御主人のおじいさんである原 磯吉(はらいそきち)さんにあてられた感謝状。
磯吉さんの像の横に、「一太郎やぁい」が!
どちらも朱越さんの作品で、磯吉さんは職人ではなく、製作所の経営などに従事されたそうです。
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そして!!!
こちらが
「一太郎やぁい」初代銅像の型!
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い、意外と小さい・・・?
高さは約30センチ〜40センチ程。
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まず、型は小さいものを先に造るそうです。
そして、依頼主と話し合い、さらに実物に忠実な像として、完成予定の大きさの像に仕上げるのだそう!
なので、これはもともとの小さい型。
実物は、7尺(1尺=約30cm)!
現在の銅像よりも大きいかもしれません。

当時は針金に粘土を付けて肉付けしていき、銅を流し込んで造る技法。
現在の技法とは違うそうで、中の針金が劣化してしまうと、その分型も崩れてしまう為、現在片足が無い状態。
ですが、金属回収の為今は無い銅像の型をここまで綺麗に保存してくださっているのは、多度津町民としてとても嬉しい!!


こちらのお写真は、
銅像の作者・織田朱越さん。
なんとも男前!
とても陽気な方だったそうです♪
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事務所には、朱越さんの造った銅像の型を集めた写真も飾られていました♪
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せっかくなので、
製作所の中を案内していただくことにダッシュ(走り出すさま)

・・・・・凄い!!!
大きな工房には、今まで製作してきた大量の銅像の型が!!
私たちが普段目にしてきた銅像の型が、たくさんありましたよ!
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御主人の寛山さんは、13代目。
職人魂を受け継いだ、仕事熱心な方です。
お仕事中、ありがとうございました(^^)
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製作所の近くを流れる財田川にかかる西光寺橋。
銅像の作者である朱越さんは蟹をモチーフにした作品も多く手掛けており、この蟹も朱越さんの作品だそう。
奥さまが教えてくださいました(^O^)
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多度津町で知らない人はいない、
「一太郎やぁい」の像。

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戦争の歴史が色濃く残ったこの像を、私たちは大切に残し、
そして、悲しい戦争から生まれた悲しい美談、梶太郎と母・カメの親子愛を語り継いでいきたいですね。


今回、このような貴重なものを見せていただき、歴史を知ることができて本当に勉強になりましたし、多度津町のシンボルとも言えるこの像の大切さを再確認することができました。


原銅像製作所の御主人・寛山さん、奥さま、
取材に協力していただき本当にありがとうございました!



桃陵公園のあの銅像も織田朱越さんの作品!


posted by tabicoco at 23:49 | Comment(3) | たどつの歴史+神社・お寺・史跡♪ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
数年前に佐柳島乗蓮寺の鐘に刻まれた「宝暦5年讃州豊田郡辻村鋳師原権左衛門尉」の銘からあてずっぽうで原銅像製作所をお訪ねしました。親切に案内していただき感激しました。懐かしくてコメントしました。
Posted by 鐵五郎 at 2014年03月04日 12:25
多度津の象徴“一太郎やぁーい”のフカ.....イ話楽しめました。
当時、岡田かめさんが出港の際「一太郎」と読んだのはたしかな事だと思います。(大正11年11月陸軍大演習時、摂政宮行軍時拝謁事前説明もされている模様)
※母かめは、日頃呼称として一太郎(私の一番の太郎か?)と呼んでいたと思われます。

一太郎やぁーい像は同じ物がもう一体沼津光長寺(岡田家菩提寺の関係より)にありました。※戦時金属供出にて、現在は台座のみ

今後も耳寄りな話題を待っています。
Posted by きままなシニア趣味人 at 2014年03月04日 20:14
鐡五郎様
コメントありがとうございます!
探し当てたんですね!凄いです!
奥さまとっても良い方で、一太郎やぁいだけでなく製作所にまつわるいろんな話をしてくださいました(^O^)

きままなシニア趣味人様
コメントありがとうございます(^^)
とてもお詳しいですね!
製作所の奥さまに資料を見せていただいたり、自分でも調べたりしましたが、まだまだ知らないことばかりです(*_*)
詳しく教えてくださりありがとうございます!
Posted by maririn at 2014年03月07日 01:08
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